「ハレ」の幕張と「ケ」の渋谷新宿 ~なぜホロライブの巨大広告は日常にフォーカスしたのか~

・はじめに

 「ハレ」と「ケ」という対になる言葉がある。ハレは晴れ舞台、晴れ着などで用いられるように儀礼や祝祭、年中行事などめでたい出来事が起きる非日常を表すのに対し、ケは日々繰り返される普段通りの日常を表している。古来から日本社会ではハレとケを明確に区別し、ハレの日には赤飯やお酒など普段の庶民には手の届かない特別な飲食をするなど、日々の生活に勤しむケの日と使い分けることにより生活のバランスを取っていたとされる。

 

 先週末の幕張は「ハレ」の2日間だった。3月18~19日に開催されたhololive SUPER EXPO 2023およびhololive 4th fesは言うまでもなく大成功を収め、沢山の愛に溢れた展示と光り輝くライブステージは多くのファンの心を満たし、夢と希望を振りまいた。EXPOとライブを同日開催するのは去年に続き2回目だったが、1年の中でこの2日間こそホロライブが最も盛り上がる大祭典であることは間違いないだろう。

 

 時を同じくして、幕張以外の場所でもホロライブが大勢の人々の目に触れていた。「あたらしい日常は、すぐそばにいる。」というキャッチコピーのもとに実写風景とホロメンを併せた写真広告およびタレント一覧広告が、渋谷駅ハチ公口、新宿メトロプロムナード、そして東京メトロ9路線の特定編成の車内に掲示された。

 公式ホームページの一新と共にトップにも表示されるこの写真広告群は、ホロライブタレントと共に過ごす「あたらしい日常」をテーマに6種類制作されたものである。渋谷のスクランブル交差点を眼下に見下ろすハチ公改札上の最も目立つ場所にがうる・ぐらの巨大広告が、新宿駅の西口と東口を地下でつなぐメトロプロムナードには数十メートルに及ぶ圧巻の横長広告が、そして東京メトロには1路線1編成のみ中吊り広告をジャックした電車が登場し、直通先を含め1週間に渡り東京近郊を走り回った。EXPOを週末に控えた3月13日に突如登場した一連の巨大広告群。都内に住む多くのファンはスマホを向けたことだろうし、平日の通勤通学時に車内で中吊り広告を見つけた際は週末に迫ったイベントに思いを馳せて一週間を乗り切る活力をもらったことだろう。

 しかし、同時に広告を見た多くのファンは不思議に思ったのではないだろうか。なぜ、週末にEXPOとライブを控えたこの時期に掲示される巨大広告が、イベントの宣伝ではなく「日常」にフォーカスしたものだったのか。なぜ、都内のここまで目立つ位置や地下鉄車内で広告ジャックをしたにも関わらず、肝心のイベントについて一言たりとも触れていないのか。推し達が多くの人の目に触れる場所に出現して嬉しい気持ちもありつつ、同様の疑問を感じたのは自分だけではないはずだ。

 

 そもそも以前より、ホロライブはイベント開催前の広告展開には力を入れていた。2nd fesの時は東名阪福43駅に渡って駅広告が出現し、去年のEXPOでも47都道府県各駅に立派な広告が掲出された。全体ライブに限らず星街すいせい・角巻わための1stライブ時は新宿サザンボードにダブル広告が掲出されるなど、毎回イベント広告への力の入れようは目を見張るものであり、自分にとっても写真を撮るのが楽しみの1つであった。

2022年2月、西鉄福岡駅で掲出されたEXPO広告

 それ故に、今回1週間のみ掲示された広告は去年までとガラッとコンセプトを変えてきたどころか、EXPOのEの字すらなかったわけである。企業プロモーションを兼ねる広告も1つあったことから、元から実施される予定でいた広告展開がたまたまイベント時期に重なった可能性もゼロではない。しかし、当日海浜幕張駅以外でのイベント広告はなし、秋葉原でも池袋でもなく渋谷新宿の広告枠を選んだ点など、どうもイベント時期に重なることを意図してあえて今回の日常広告に全力を振ったと考える方が自然であるように思えるのだ。

 

 「ハレ」のイベントが重なる時期に「ケ」の日常をテーマとする広告を出した理由とはなんだったのか。大歓声の中で終わったイベントの後、多くのファンが感動や感謝の文章を書き連ねているであろう最中に、ホロライブの広告を撮り続けてきた自分はあえてこのテーマに向き合ってみようと思う。

 

・広告の概要

 

 まずは今回掲示された広告についておさらいしたい。3月13日に公開されたプレスリリースがこちらである。

prtimes.jp

掲出場所は、

・JR渋谷駅「ハチコーボード」

新宿駅メトロプロムナード

東京メトロ9路線

の2か所+1編成×9路線。

 "ホロライブタレントとともに過ごす「あたらしい日常」を提案する広告"と説明されている。掲出期間は3月13日~19日までの一週間。EXPOの終了と共に掲示も終了した。広告は実写風景にホロメンが合わさった写真広告6種類とタレント一覧の計7種類で構成されており、渋谷ハチ公口にはがうる・ぐらの広告のみが大きく掲出された。

 

 続いて6種類の実写広告と添えられた文章を1つずつ見ていこう。撮影時は記事に載せることを考えておらず、写真によって角度や映り込みがバラバラなのはご了承願いたい。

 

①がうる・ぐら / 電車内

はじめて見るもの。はじめて聞くこと。はじめて触れる世界。

知らなかった誰かとの出会いが、明日をもっと楽しみにしてくれるかも。

考えて立ち止まる前に、一歩踏み出してみない?

 

②兎田ぺこら・宝鐘マリン / 下校風景

気の置けない仲間との、気を使わないひととき。

そんな時間があればあるほど、毎日は華やかになっていく。

バーチャルでもリアルでも、かけがえのない笑顔をくれるのは、いつだって身近な存在だから。

 

③戌神ころね / 夜のオフィス

自分だけでがんばらなきゃ。一人でなんとかしなくっちゃ。

そんな孤独な場面は、これからもきっとたまにある。

そんなとき、心に誰かの存在がよぎったら、それは本当の意味で孤独じゃないのかもしれない。

 

④星街すいせい・森カリオペ / 路上ライブ

誰かの一生懸命な姿は、見ている人の心をつかむ。

真剣な表情や歌声はきっと、あらゆる違いや距離を超えて、心を揺さぶる。

明日もがんばろうって、心からそう思えた。

 

⑤白上フブキ / 新生活

どうなるかまったくわからない、新しい環境での生活。

なにも知らない街で、まっさらな日々が始まる。でも、大丈夫。

一緒にいてくれるこの声を聞けば、嫌な不安もそのうちすーっと溶けていく。

 

⑥こぼ・かなえる / バス車内

つらかった昨日のこと。がんばった今日のこと。たのしみな明日のこと。

話して欲しいし、聞いて欲しい。

友だちって思えれば、バーチャルとかリアルとか、たいしたことじゃないかも。

 

 以上の実写広告6種類に加えて、ホロライブJP/EN/ID全メンバーとチャンネル登録者数の一覧も併せて掲示された。東京メトロの中吊り広告に関しては2枚に分割されたものとなっている。

こちらのフレーズは「世界を変えていく、バーチャルタレントプロダクション LIVE NEW REAL with hololive」であった。

 

・共通する大きなテーマ、異なる細かなメッセージ

 

 次に、実写広告6種類に共通するテーマを探ってみようと思う。6種類ともベースになっているのは「あたらしい日常は、すぐそばにいる。」というキャッチコピーである。ここでいう「あたらしい日常」とは、簡潔に表現すれば「Vtuberが身近に存在する日常」「ホロメンが身近にいる日常」ということになる。私たちの暮らす社会の何気ない日常風景の中にも、気づけばホロメンの存在がある。それが物理的なものでも精神的なものであっても、ホロメンの存在が今を生きる誰かの力になったり、支えになったりしている。そこにバーチャルとかリアルとか次元の壁は関係ない、というのが全てに共通するメッセージだろうと考える。

 

 続いて実際のホロメンの活動内容と比較して、6種類の日常風景はそれぞれどのような差異や特徴があるか細かく見ていきたい。

 

 まず、最も現実の活動内容に即した光景と言えるのが、④の星街すいせい・森カリオペが路上ライブをしている写真だ。もちろん現実にこんな路上でライブをすることはまだ困難だが、アーティストの歌を大勢の聴衆が囲って聴き入っている様子は普段YouTubeで行われている歌枠や3Dライブと大差がない。ただ一方通行に歌を提供しているだけでなく、聴き手のリアクションや感想がコメントという形で歌う側にもダイレクトで届く点、投げ銭およびスパチャというスタイルが共通する点など、6つの中で最も物理的に分かりやすい光景がこの路上ライブだと思う。

 続いて「推し」というテーマをもとに、その光景が現実に即しているかいないかに関わらず、精神的な心の支えとなっていることを表すのが③、⑤、⑥の各広告だと考えられる。深夜のオフィスで孤独に残業をしている時、Vtuberがコーヒーを差し入れてくれる世界が実現すればいいに越したことはないが、残念なことにまだ実現できていない。しかし添えられた文章にもある通り、心に誰かの存在がいるならば物理的に孤独であっても精神的には孤独ではない。ころさんのマグカップでコーヒーを淹れつつ仕事合間に配信を観たりしていれば、この光景は実現したも同然ではないだろうか。同様に、新生活の準備や引っ越しをVtuberが手伝ってくれるわけではないが、配信で推しの声を聴くだけであらゆる不安は取り除かれるかもしれないし、双方向のコミュニケーションが存在するならば直接応援の言葉を聞けるかもしれない。今はまだVtuberは一緒にバスに乗ってくれないが、YouTubeTwitterの中では現実にいる友人と何ら変わりなく日々の出来事を語り合うことができるだろう。物理的に実現できる光景ではなくとも、これらの広告と同じことを我々は画面越しに毎日繰り返している。これらの光景は、とっくに私たちの日常の一部となっているんだと思う。

 上記3つがホロメンと自分の1:1という関係であることを鑑みると、②のぺこマリは仲間というワードが出てくるように複数人の関係性も内包されているように思う。もちろんバーチャル/リアルという壁を超えた軸での気の置けない仲間、身近な存在と捉えることもできるが、下校中の3人+ぺこマリの2人がみんなで手を振り合っているように、Vtuberを通じて現実の仲間とも繋がりを広げ、よりリアルの毎日も華やかになっていくという意図も感じ取れる。バーチャルもリアルも関係なく、仲間は大切なものだという普遍的なメッセージも込められているかもしれない。

 さて、ここまで5つの広告解釈を書いてきたが、最後に1つだけ残ってしまった。それも渋谷ハチ公口にただ1つデカデカと掲出され、最も多くの人の目に触れたであろうぐらちゃんが電車に乗っている広告だ。他の5つは「たとえ現実に存在しなくても身近に感じることのできる推しは心の支えとなる」という点で、「あたらしい日常は、すぐそばにいる。」というテーマにすんなりと合致するし分かりやすいものだった。一方、同じように①の広告が表すメッセージの解釈を試みたところ、少し悩むことになってしまった。人によって解釈が分かれそうなこの広告が指し示すところを、自分なりに解釈してみようと思う。

 

・がうる・ぐらの広告だけが秘めたメッセージ

 

 電車の中で青年の読む本を覗き込み目をキラキラさせるぐらちゃん。座席の端には男性と女性も座っているが、会社員らしき男性は虚ろな目で明後日の方向を見つめ、女性は手元のスマホを見ていてぐらちゃんのことは視界にすら入っていない。情景としては⑥のこぼちゃんと似ているが、主役となる青年の表情に大きな違いがある。こぼちゃんの方は、スマホの画面を見せて何か話題を共有しようとしている男性が笑顔を浮かべている。それもそのはずで、文章中に友だちというワードが出てくることからもこの人にとってこぼちゃんは推し、もしくは友だち感覚で接している日常があるわけで、それが心の支えとなっている分かりやすいメッセージを感じ取れる。

 

 一方ぐらちゃんの方、本を覗き込まれた青年の浮かべる表情は「驚き」または「困惑」であり、「なんか覗かれてるけどこのサメみたいな女の子誰…?」と言わんばかりの微妙な表情をしている。ぐらちゃんを認知しているかいないかは分からないが、この場の状況自体に驚いた表情をしているのは間違いないだろう。もう1つ、持っている物がデジタルデバイスではなくアナログな紙の本であることにも意味があるのではないか。昔は電車内で多くの人が新聞を広げるか読書をしていたが、今や大多数の人はスマホを眺めているし電子書籍の普及によって車内で紙の本を読む人はますます減ってきた印象がある。そんな中、紙の本か参考書を読んでいる真面目そうなこの青年は、おそらくVtuberという新しい文化にあまり触れてこなかったタイプの人間ではないだろうか。ホロライブを知っていて、誰かしら推しがいて、一緒に日常を過ごすという他5つの広告の登場人物と違って、唯一この青年だけはホロライブを知らない、Vtuberも見ない、そんな一般人に思えてくる。ここに添えられた文章もまた、他とは何か空気が異なる。

 

はじめて見るもの。はじめて聞くこと。はじめて触れる世界。

知らなかった誰かとの出会いが、明日をもっと楽しみにしてくれるかも。

考えて立ち止まる前に、一歩踏み出してみない?

 

 3連続で出てくる「はじめて」というワード、「知らなかった誰か」とはVtuberのこと、「考えて立ち止まる前に」とは何か理由を探して毛嫌いしていたこと、「一歩踏み出してみない?」はこの出会いを機会にあなたもVtuberの世界に飛び込んでみない?という提案。やはりこの広告だけ、まだホロライブにハマっていない人に向けたメッセージが込められたように思えてならないのだ。

 

 そう考えると、座席の端に座る大人2人がどことなくつまらなそうな、疲れて虚ろな顔をして電車に乗っている意味がなんとなく分かってくる。日々の電車での移動は、多くの人にとって退屈なものだ。それが通勤電車であるなら尚更、みんな虚ろな目でスマホを眺めるか目を閉じるかしている。それが私たちの日常であり、人生でこれまでもこれからも何度も何度も繰り返される、変わらない日常。そんな辛く苦しい日常の中、ただ日々を消費して走るだけの通勤電車の車内で、ふと、顔を上げてみてほしい。

「あたらしい日常は、すぐそばにいる。」

 

 視界に飛び込んだのは、当たり前のようにVtuberが近くにいる、そんな日常へ自分を招き入れる広告だった。本を読むこの青年が、初めてVtuberに接した時と同じように。

 

 今回の広告を考察する上で重要なポイントとして、広告の中と外の両側に同じ意味を持たせる二重構造があると自分は考えた。広告の中の実写風景で描かれる、バーチャルとリアルが融合する光景。その広告を電車の中で、渋谷で、新宿で見ていた私たちもまた、バーチャルとリアルが融合する光景の中で1人の登場人物となっている。この広告を見ている自分自身もまた、「あたらしい日常」を構成する1人であり、「すぐそばにいる」の「いる」者とは、客観視した自分自身のことすら含んでいるのかもしれない。どういうわけか車内でいきなり本を覗いてきたサメっぽい子どもに驚いてVtuberの世界に触れた青年も、スクランブル交差点で偶然広告が目に入って興味を持った渋谷のギャルも、終電間際に新宿西口へ急ぎメトロプロムナードで広告を横目で見たサラリーマンも。誰もが「あたらしい日常」を成り立たせる主人公になりうる。広告に写るどの立場の登場人物にも、私たちを当てはめることができる。「世界を変えていく」と言うけれど、この広告を出した時点で、もうとっくに世界は変わっているんだと思う。

 そしてなぜ、広告の掲出場所は渋谷と新宿だったのか。どうして秋葉原で広告を出さなかったのか。単にホロライブのファンに向けた広告であるならば、秋葉原でBloom,の宣伝をした時のようにメインビジュアルの大広告を出せばよかっただろう。しかし、今回は現地以外でイベントの広告を一切出さずにあくまで「日常」にフォーカスした広告のみを、それもファン層を考えればクリティカルヒットするとは限らない渋谷ハチ公口に一番大きな広告を出してきた。イベントをやっていることを知らない、そもそも興味がない、そんな層に対して「こんな広告を出すホロライブが示すあたらしい日常ってなんだろう」とまずは興味を持ってもらう、とにかくホロライブに出会ってもらう、そんな真意があるように思えた。一番大きい渋谷ハチ公口にぐらちゃんの広告を持ってきたのも、既存ファン層に当てはまらない人々へ向けたメッセージ込みで意味のある選択だったのだろう。「はじめて触れる世界」での「知らなかった誰かとの出会い」、広告の中の青年と同様に、渋谷駅前でそんな出会いを自然発生させることが最大の目的だったのではないだろうか。

 

・「ハレ」と「ケ」、その二面性でホロライブは光り輝く

 

 3月18日と19日の2日間、ホロライブはそこに秘める二面性を2種類の広告掲出によって指し示した。1つは推し達が光り輝く年に一度のハレ舞台という非日常。もう1つは推し達がそばにいるいつも通りの日常と、これからそんな新しい日常に足を踏み入れる人に向けた招待状。ハレのイベントやライブも、ケの普段の配信活動も、どちらも今のホロライブを構成する必要不可欠な要素だからこそ、同じ時間・違う場所で2種類の広告が大勢の目に触れていたことに意味があったのではないだろうか。非日常のイベントを楽しむ人に向けた幕張の広告と、普段通りの日常を送る人に向けた渋谷新宿地下鉄の広告。その両方を包括できる懐の広さが、ホロライブの大きな強みであると自分は思う。

 そしてハレの日は、日常の繰り返しの上に成り立つものだ。いつも通りの配信、ゲーム実況、歌枠、雑談。そういった何気ないホロメンの活動に日々触れているからこそ、生誕3Dライブや年に一度の大型イベントは一層華やかなものに感じられる。普段は一緒にゲームをするように身近な存在と感じるホロメンが、キラキラ光る大舞台で歌って踊る姿に多くのファンが惹きつけられてきた。普段通りのホロライブの日常に触れた上で、大舞台に立つホロメンを目にした時の感動。ホロライブが最も輝いて見えるそのプロセスを体験してほしいが故に、イベントやライブといった従来の宣伝方式ではなく、入り口としての新しい日常をフォーカスしたのかもしれない。

 私たちが生きる日常は、多くの人にとって辛く苦しい日々の繰り返しだ。先の見えない生活の中で、心から楽しめるハレの日なんて来ないかもしれない。そんな日常のサイクルに彩りを添えて、少しでも日々を豊かにすることができるのならば。「ケ」の日常を「ハレ」の非日常に少しでも近づけることができるのならば。今年渋谷新宿でホロライブを知った人が、いつしか推しを作り、日々の配信を楽しみ、来年の今頃には幕張へ足を運んでいるかもしれない。広告を目にした誰もが、リアルとバーチャルが融合する世界の主人公になることができる。だからホロライブの巨大広告は、あえて日常にフォーカスしたのだろう。1人でも多くの人とあたらしい日常を共有するために。1人でも多くの人の日常が、より輝くものとなるために。

 

Parade, Parade, Parade!

輝くんだよ

暗がりを満たすのは 君だ 僕だ!

(Our Bright Parade / hololive IDOL PROJECT)

 

・おわりに

 3月18日。EXPOの会場で自分は夢を見させてもらった。ホロリー写真コンテストで最優秀賞を受賞した自分の作品が、この素敵な会場を彩る展示物の1つとなっていた、光栄すぎる夢を。

 

 名残惜しくも18時に会場を去り、明日には終了する車内広告を写真に収めることを最優先した自分は、ライブも観ないで終電間際の我孫子駅から代々木上原行きの各駅停車に乗り込んだ。事前に車両運用を調べた通り、車内の中吊り広告はすべてホロライブ。つい先程までEXPOでお祭り騒ぎをして、大歓声の中ライブを終えたばかりのホロライブが、自分1人だけが乗る常磐線各駅停車の静かな車内を染め上げていた。

 

 ハレのお祭りは終わり、幕張を後にして一時の夢は醒める。しかし夢から醒めてもなお、ホロライブは変わらずそばにいた。それは夢でもバーチャルでも画面越しの幻想でもなく、今ここにある現実だったのだ。中吊り広告を見上げてその事実に気付いた時、涙が溢れて止まらなかった。今日も家に帰ればホロメンの配信がある、そんな何気ない日常が何よりも尊いものであると再認識した時、明日からまた頑張れると本気で思うのだった。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(写真はすべて筆者撮影)