「ハレ」の幕張と「ケ」の渋谷新宿 ~なぜホロライブの巨大広告は日常にフォーカスしたのか~

・はじめに

 「ハレ」と「ケ」という対になる言葉がある。ハレは晴れ舞台、晴れ着などで用いられるように儀礼や祝祭、年中行事などめでたい出来事が起きる非日常を表すのに対し、ケは日々繰り返される普段通りの日常を表している。古来から日本社会ではハレとケを明確に区別し、ハレの日には赤飯やお酒など普段の庶民には手の届かない特別な飲食をするなど、日々の生活に勤しむケの日と使い分けることにより生活のバランスを取っていたとされる。

 

 先週末の幕張は「ハレ」の2日間だった。3月18~19日に開催されたhololive SUPER EXPO 2023およびhololive 4th fesは言うまでもなく大成功を収め、沢山の愛に溢れた展示と光り輝くライブステージは多くのファンの心を満たし、夢と希望を振りまいた。EXPOとライブを同日開催するのは去年に続き2回目だったが、1年の中でこの2日間こそホロライブが最も盛り上がる大祭典であることは間違いないだろう。

 

 時を同じくして、幕張以外の場所でもホロライブが大勢の人々の目に触れていた。「あたらしい日常は、すぐそばにいる。」というキャッチコピーのもとに実写風景とホロメンを併せた写真広告およびタレント一覧広告が、渋谷駅ハチ公口、新宿メトロプロムナード、そして東京メトロ9路線の特定編成の車内に掲示された。

 公式ホームページの一新と共にトップにも表示されるこの写真広告群は、ホロライブタレントと共に過ごす「あたらしい日常」をテーマに6種類制作されたものである。渋谷のスクランブル交差点を眼下に見下ろすハチ公改札上の最も目立つ場所にがうる・ぐらの巨大広告が、新宿駅の西口と東口を地下でつなぐメトロプロムナードには数十メートルに及ぶ圧巻の横長広告が、そして東京メトロには1路線1編成のみ中吊り広告をジャックした電車が登場し、直通先を含め1週間に渡り東京近郊を走り回った。EXPOを週末に控えた3月13日に突如登場した一連の巨大広告群。都内に住む多くのファンはスマホを向けたことだろうし、平日の通勤通学時に車内で中吊り広告を見つけた際は週末に迫ったイベントに思いを馳せて一週間を乗り切る活力をもらったことだろう。

 しかし、同時に広告を見た多くのファンは不思議に思ったのではないだろうか。なぜ、週末にEXPOとライブを控えたこの時期に掲示される巨大広告が、イベントの宣伝ではなく「日常」にフォーカスしたものだったのか。なぜ、都内のここまで目立つ位置や地下鉄車内で広告ジャックをしたにも関わらず、肝心のイベントについて一言たりとも触れていないのか。推し達が多くの人の目に触れる場所に出現して嬉しい気持ちもありつつ、同様の疑問を感じたのは自分だけではないはずだ。

 

 そもそも以前より、ホロライブはイベント開催前の広告展開には力を入れていた。2nd fesの時は東名阪福43駅に渡って駅広告が出現し、去年のEXPOでも47都道府県各駅に立派な広告が掲出された。全体ライブに限らず星街すいせい・角巻わための1stライブ時は新宿サザンボードにダブル広告が掲出されるなど、毎回イベント広告への力の入れようは目を見張るものであり、自分にとっても写真を撮るのが楽しみの1つであった。

2022年2月、西鉄福岡駅で掲出されたEXPO広告

 それ故に、今回1週間のみ掲示された広告は去年までとガラッとコンセプトを変えてきたどころか、EXPOのEの字すらなかったわけである。企業プロモーションを兼ねる広告も1つあったことから、元から実施される予定でいた広告展開がたまたまイベント時期に重なった可能性もゼロではない。しかし、当日海浜幕張駅以外でのイベント広告はなし、秋葉原でも池袋でもなく渋谷新宿の広告枠を選んだ点など、どうもイベント時期に重なることを意図してあえて今回の日常広告に全力を振ったと考える方が自然であるように思えるのだ。

 

 「ハレ」のイベントが重なる時期に「ケ」の日常をテーマとする広告を出した理由とはなんだったのか。大歓声の中で終わったイベントの後、多くのファンが感動や感謝の文章を書き連ねているであろう最中に、ホロライブの広告を撮り続けてきた自分はあえてこのテーマに向き合ってみようと思う。

 

・広告の概要

 

 まずは今回掲示された広告についておさらいしたい。3月13日に公開されたプレスリリースがこちらである。

prtimes.jp

掲出場所は、

・JR渋谷駅「ハチコーボード」

新宿駅メトロプロムナード

東京メトロ9路線

の2か所+1編成×9路線。

 "ホロライブタレントとともに過ごす「あたらしい日常」を提案する広告"と説明されている。掲出期間は3月13日~19日までの一週間。EXPOの終了と共に掲示も終了した。広告は実写風景にホロメンが合わさった写真広告6種類とタレント一覧の計7種類で構成されており、渋谷ハチ公口にはがうる・ぐらの広告のみが大きく掲出された。

 

 続いて6種類の実写広告と添えられた文章を1つずつ見ていこう。撮影時は記事に載せることを考えておらず、写真によって角度や映り込みがバラバラなのはご了承願いたい。

 

①がうる・ぐら / 電車内

はじめて見るもの。はじめて聞くこと。はじめて触れる世界。

知らなかった誰かとの出会いが、明日をもっと楽しみにしてくれるかも。

考えて立ち止まる前に、一歩踏み出してみない?

 

②兎田ぺこら・宝鐘マリン / 下校風景

気の置けない仲間との、気を使わないひととき。

そんな時間があればあるほど、毎日は華やかになっていく。

バーチャルでもリアルでも、かけがえのない笑顔をくれるのは、いつだって身近な存在だから。

 

③戌神ころね / 夜のオフィス

自分だけでがんばらなきゃ。一人でなんとかしなくっちゃ。

そんな孤独な場面は、これからもきっとたまにある。

そんなとき、心に誰かの存在がよぎったら、それは本当の意味で孤独じゃないのかもしれない。

 

④星街すいせい・森カリオペ / 路上ライブ

誰かの一生懸命な姿は、見ている人の心をつかむ。

真剣な表情や歌声はきっと、あらゆる違いや距離を超えて、心を揺さぶる。

明日もがんばろうって、心からそう思えた。

 

⑤白上フブキ / 新生活

どうなるかまったくわからない、新しい環境での生活。

なにも知らない街で、まっさらな日々が始まる。でも、大丈夫。

一緒にいてくれるこの声を聞けば、嫌な不安もそのうちすーっと溶けていく。

 

⑥こぼ・かなえる / バス車内

つらかった昨日のこと。がんばった今日のこと。たのしみな明日のこと。

話して欲しいし、聞いて欲しい。

友だちって思えれば、バーチャルとかリアルとか、たいしたことじゃないかも。

 

 以上の実写広告6種類に加えて、ホロライブJP/EN/ID全メンバーとチャンネル登録者数の一覧も併せて掲示された。東京メトロの中吊り広告に関しては2枚に分割されたものとなっている。

こちらのフレーズは「世界を変えていく、バーチャルタレントプロダクション LIVE NEW REAL with hololive」であった。

 

・共通する大きなテーマ、異なる細かなメッセージ

 

 次に、実写広告6種類に共通するテーマを探ってみようと思う。6種類ともベースになっているのは「あたらしい日常は、すぐそばにいる。」というキャッチコピーである。ここでいう「あたらしい日常」とは、簡潔に表現すれば「Vtuberが身近に存在する日常」「ホロメンが身近にいる日常」ということになる。私たちの暮らす社会の何気ない日常風景の中にも、気づけばホロメンの存在がある。それが物理的なものでも精神的なものであっても、ホロメンの存在が今を生きる誰かの力になったり、支えになったりしている。そこにバーチャルとかリアルとか次元の壁は関係ない、というのが全てに共通するメッセージだろうと考える。

 

 続いて実際のホロメンの活動内容と比較して、6種類の日常風景はそれぞれどのような差異や特徴があるか細かく見ていきたい。

 

 まず、最も現実の活動内容に即した光景と言えるのが、④の星街すいせい・森カリオペが路上ライブをしている写真だ。もちろん現実にこんな路上でライブをすることはまだ困難だが、アーティストの歌を大勢の聴衆が囲って聴き入っている様子は普段YouTubeで行われている歌枠や3Dライブと大差がない。ただ一方通行に歌を提供しているだけでなく、聴き手のリアクションや感想がコメントという形で歌う側にもダイレクトで届く点、投げ銭およびスパチャというスタイルが共通する点など、6つの中で最も物理的に分かりやすい光景がこの路上ライブだと思う。

 続いて「推し」というテーマをもとに、その光景が現実に即しているかいないかに関わらず、精神的な心の支えとなっていることを表すのが③、⑤、⑥の各広告だと考えられる。深夜のオフィスで孤独に残業をしている時、Vtuberがコーヒーを差し入れてくれる世界が実現すればいいに越したことはないが、残念なことにまだ実現できていない。しかし添えられた文章にもある通り、心に誰かの存在がいるならば物理的に孤独であっても精神的には孤独ではない。ころさんのマグカップでコーヒーを淹れつつ仕事合間に配信を観たりしていれば、この光景は実現したも同然ではないだろうか。同様に、新生活の準備や引っ越しをVtuberが手伝ってくれるわけではないが、配信で推しの声を聴くだけであらゆる不安は取り除かれるかもしれないし、双方向のコミュニケーションが存在するならば直接応援の言葉を聞けるかもしれない。今はまだVtuberは一緒にバスに乗ってくれないが、YouTubeTwitterの中では現実にいる友人と何ら変わりなく日々の出来事を語り合うことができるだろう。物理的に実現できる光景ではなくとも、これらの広告と同じことを我々は画面越しに毎日繰り返している。これらの光景は、とっくに私たちの日常の一部となっているんだと思う。

 上記3つがホロメンと自分の1:1という関係であることを鑑みると、②のぺこマリは仲間というワードが出てくるように複数人の関係性も内包されているように思う。もちろんバーチャル/リアルという壁を超えた軸での気の置けない仲間、身近な存在と捉えることもできるが、下校中の3人+ぺこマリの2人がみんなで手を振り合っているように、Vtuberを通じて現実の仲間とも繋がりを広げ、よりリアルの毎日も華やかになっていくという意図も感じ取れる。バーチャルもリアルも関係なく、仲間は大切なものだという普遍的なメッセージも込められているかもしれない。

 さて、ここまで5つの広告解釈を書いてきたが、最後に1つだけ残ってしまった。それも渋谷ハチ公口にただ1つデカデカと掲出され、最も多くの人の目に触れたであろうぐらちゃんが電車に乗っている広告だ。他の5つは「たとえ現実に存在しなくても身近に感じることのできる推しは心の支えとなる」という点で、「あたらしい日常は、すぐそばにいる。」というテーマにすんなりと合致するし分かりやすいものだった。一方、同じように①の広告が表すメッセージの解釈を試みたところ、少し悩むことになってしまった。人によって解釈が分かれそうなこの広告が指し示すところを、自分なりに解釈してみようと思う。

 

・がうる・ぐらの広告だけが秘めたメッセージ

 

 電車の中で青年の読む本を覗き込み目をキラキラさせるぐらちゃん。座席の端には男性と女性も座っているが、会社員らしき男性は虚ろな目で明後日の方向を見つめ、女性は手元のスマホを見ていてぐらちゃんのことは視界にすら入っていない。情景としては⑥のこぼちゃんと似ているが、主役となる青年の表情に大きな違いがある。こぼちゃんの方は、スマホの画面を見せて何か話題を共有しようとしている男性が笑顔を浮かべている。それもそのはずで、文章中に友だちというワードが出てくることからもこの人にとってこぼちゃんは推し、もしくは友だち感覚で接している日常があるわけで、それが心の支えとなっている分かりやすいメッセージを感じ取れる。

 

 一方ぐらちゃんの方、本を覗き込まれた青年の浮かべる表情は「驚き」または「困惑」であり、「なんか覗かれてるけどこのサメみたいな女の子誰…?」と言わんばかりの微妙な表情をしている。ぐらちゃんを認知しているかいないかは分からないが、この場の状況自体に驚いた表情をしているのは間違いないだろう。もう1つ、持っている物がデジタルデバイスではなくアナログな紙の本であることにも意味があるのではないか。昔は電車内で多くの人が新聞を広げるか読書をしていたが、今や大多数の人はスマホを眺めているし電子書籍の普及によって車内で紙の本を読む人はますます減ってきた印象がある。そんな中、紙の本か参考書を読んでいる真面目そうなこの青年は、おそらくVtuberという新しい文化にあまり触れてこなかったタイプの人間ではないだろうか。ホロライブを知っていて、誰かしら推しがいて、一緒に日常を過ごすという他5つの広告の登場人物と違って、唯一この青年だけはホロライブを知らない、Vtuberも見ない、そんな一般人に思えてくる。ここに添えられた文章もまた、他とは何か空気が異なる。

 

はじめて見るもの。はじめて聞くこと。はじめて触れる世界。

知らなかった誰かとの出会いが、明日をもっと楽しみにしてくれるかも。

考えて立ち止まる前に、一歩踏み出してみない?

 

 3連続で出てくる「はじめて」というワード、「知らなかった誰か」とはVtuberのこと、「考えて立ち止まる前に」とは何か理由を探して毛嫌いしていたこと、「一歩踏み出してみない?」はこの出会いを機会にあなたもVtuberの世界に飛び込んでみない?という提案。やはりこの広告だけ、まだホロライブにハマっていない人に向けたメッセージが込められたように思えてならないのだ。

 

 そう考えると、座席の端に座る大人2人がどことなくつまらなそうな、疲れて虚ろな顔をして電車に乗っている意味がなんとなく分かってくる。日々の電車での移動は、多くの人にとって退屈なものだ。それが通勤電車であるなら尚更、みんな虚ろな目でスマホを眺めるか目を閉じるかしている。それが私たちの日常であり、人生でこれまでもこれからも何度も何度も繰り返される、変わらない日常。そんな辛く苦しい日常の中、ただ日々を消費して走るだけの通勤電車の車内で、ふと、顔を上げてみてほしい。

「あたらしい日常は、すぐそばにいる。」

 

 視界に飛び込んだのは、当たり前のようにVtuberが近くにいる、そんな日常へ自分を招き入れる広告だった。本を読むこの青年が、初めてVtuberに接した時と同じように。

 

 今回の広告を考察する上で重要なポイントとして、広告の中と外の両側に同じ意味を持たせる二重構造があると自分は考えた。広告の中の実写風景で描かれる、バーチャルとリアルが融合する光景。その広告を電車の中で、渋谷で、新宿で見ていた私たちもまた、バーチャルとリアルが融合する光景の中で1人の登場人物となっている。この広告を見ている自分自身もまた、「あたらしい日常」を構成する1人であり、「すぐそばにいる」の「いる」者とは、客観視した自分自身のことすら含んでいるのかもしれない。どういうわけか車内でいきなり本を覗いてきたサメっぽい子どもに驚いてVtuberの世界に触れた青年も、スクランブル交差点で偶然広告が目に入って興味を持った渋谷のギャルも、終電間際に新宿西口へ急ぎメトロプロムナードで広告を横目で見たサラリーマンも。誰もが「あたらしい日常」を成り立たせる主人公になりうる。広告に写るどの立場の登場人物にも、私たちを当てはめることができる。「世界を変えていく」と言うけれど、この広告を出した時点で、もうとっくに世界は変わっているんだと思う。

 そしてなぜ、広告の掲出場所は渋谷と新宿だったのか。どうして秋葉原で広告を出さなかったのか。単にホロライブのファンに向けた広告であるならば、秋葉原でBloom,の宣伝をした時のようにメインビジュアルの大広告を出せばよかっただろう。しかし、今回は現地以外でイベントの広告を一切出さずにあくまで「日常」にフォーカスした広告のみを、それもファン層を考えればクリティカルヒットするとは限らない渋谷ハチ公口に一番大きな広告を出してきた。イベントをやっていることを知らない、そもそも興味がない、そんな層に対して「こんな広告を出すホロライブが示すあたらしい日常ってなんだろう」とまずは興味を持ってもらう、とにかくホロライブに出会ってもらう、そんな真意があるように思えた。一番大きい渋谷ハチ公口にぐらちゃんの広告を持ってきたのも、既存ファン層に当てはまらない人々へ向けたメッセージ込みで意味のある選択だったのだろう。「はじめて触れる世界」での「知らなかった誰かとの出会い」、広告の中の青年と同様に、渋谷駅前でそんな出会いを自然発生させることが最大の目的だったのではないだろうか。

 

・「ハレ」と「ケ」、その二面性でホロライブは光り輝く

 

 3月18日と19日の2日間、ホロライブはそこに秘める二面性を2種類の広告掲出によって指し示した。1つは推し達が光り輝く年に一度のハレ舞台という非日常。もう1つは推し達がそばにいるいつも通りの日常と、これからそんな新しい日常に足を踏み入れる人に向けた招待状。ハレのイベントやライブも、ケの普段の配信活動も、どちらも今のホロライブを構成する必要不可欠な要素だからこそ、同じ時間・違う場所で2種類の広告が大勢の目に触れていたことに意味があったのではないだろうか。非日常のイベントを楽しむ人に向けた幕張の広告と、普段通りの日常を送る人に向けた渋谷新宿地下鉄の広告。その両方を包括できる懐の広さが、ホロライブの大きな強みであると自分は思う。

 そしてハレの日は、日常の繰り返しの上に成り立つものだ。いつも通りの配信、ゲーム実況、歌枠、雑談。そういった何気ないホロメンの活動に日々触れているからこそ、生誕3Dライブや年に一度の大型イベントは一層華やかなものに感じられる。普段は一緒にゲームをするように身近な存在と感じるホロメンが、キラキラ光る大舞台で歌って踊る姿に多くのファンが惹きつけられてきた。普段通りのホロライブの日常に触れた上で、大舞台に立つホロメンを目にした時の感動。ホロライブが最も輝いて見えるそのプロセスを体験してほしいが故に、イベントやライブといった従来の宣伝方式ではなく、入り口としての新しい日常をフォーカスしたのかもしれない。

 私たちが生きる日常は、多くの人にとって辛く苦しい日々の繰り返しだ。先の見えない生活の中で、心から楽しめるハレの日なんて来ないかもしれない。そんな日常のサイクルに彩りを添えて、少しでも日々を豊かにすることができるのならば。「ケ」の日常を「ハレ」の非日常に少しでも近づけることができるのならば。今年渋谷新宿でホロライブを知った人が、いつしか推しを作り、日々の配信を楽しみ、来年の今頃には幕張へ足を運んでいるかもしれない。広告を目にした誰もが、リアルとバーチャルが融合する世界の主人公になることができる。だからホロライブの巨大広告は、あえて日常にフォーカスしたのだろう。1人でも多くの人とあたらしい日常を共有するために。1人でも多くの人の日常が、より輝くものとなるために。

 

Parade, Parade, Parade!

輝くんだよ

暗がりを満たすのは 君だ 僕だ!

(Our Bright Parade / hololive IDOL PROJECT)

 

・おわりに

 3月18日。EXPOの会場で自分は夢を見させてもらった。ホロリー写真コンテストで最優秀賞を受賞した自分の作品が、この素敵な会場を彩る展示物の1つとなっていた、光栄すぎる夢を。

 

 名残惜しくも18時に会場を去り、明日には終了する車内広告を写真に収めることを最優先した自分は、ライブも観ないで終電間際の我孫子駅から代々木上原行きの各駅停車に乗り込んだ。事前に車両運用を調べた通り、車内の中吊り広告はすべてホロライブ。つい先程までEXPOでお祭り騒ぎをして、大歓声の中ライブを終えたばかりのホロライブが、自分1人だけが乗る常磐線各駅停車の静かな車内を染め上げていた。

 

 ハレのお祭りは終わり、幕張を後にして一時の夢は醒める。しかし夢から醒めてもなお、ホロライブは変わらずそばにいた。それは夢でもバーチャルでも画面越しの幻想でもなく、今ここにある現実だったのだ。中吊り広告を見上げてその事実に気付いた時、涙が溢れて止まらなかった。今日も家に帰ればホロメンの配信がある、そんな何気ない日常が何よりも尊いものであると再認識した時、明日からまた頑張れると本気で思うのだった。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(写真はすべて筆者撮影)

不完全燃焼に終わったホロ伊豆ム。それでも現地で見えたのは「いつも通りの日常」に溶け込むホロライブの姿だった | ホロ伊豆ム取材後記

はじめに:6月9日

 

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三島駅に設置されたパネルとホロ伊豆ムトレイン

 

6月9日、ホロ伊豆ムは半年間の実施期間を満了して幕を閉じた。

 

 しかし言わずもがな、この日は伊豆の観光キャンペーンが終了したことを惜しんでいる余裕などなかった。「もはや伊豆どころではない」ーこの日の動画投稿のため二か月以上前から奮闘してきた私でさえも、突然の卒業発表に狼狽え、悲しみ、行き場のない感情の中で伊豆の話題を挟むことに一抹の疑問さえ覚えた。ホロ伊豆ムトレインが最終運行を終えた直後、21時に予定通り動画を公開したものの、この日の夜までTwitterのTLは会長の卒業発表に関する話題で持ちきりで、本人の雑談枠があり、思いの丈を語るホロメンがおり、歌いながら涙を流すホロメンもいた。ホロライブに関わる誰もが、ホロライブを愛する誰もが、多大な功績を残した桐生ココの卒業に思いを馳せた6月9日。ついに公式では一言も触れられることなく、伊豆箱根鉄道近畿日本ツーリストや提携した各宿泊施設をも巻き込んだホロライブ初の地域密着型観光キャンペーンは、終了したことさえ通知されぬまま、あまりにもひっそりと幕を閉じた。

 

 本当にこれでよかったのだろうか。もっと出来ることがあったのではないか。そもそも、ホロ伊豆ムとは誰が何のために企画して、どんな意味があったのだろうか。急激に変化する社会情勢に翻弄され続けた半年間、期間を延長してまでも実施されたホロ伊豆ムとは、一体なんだったのか。

 

 半年間で計6回、日数にして12日、月イチペースで旅行というより取材のために伊豆へ赴いた筆者が現地で直に感じたことを、今回は素直に書き連ねてみようと思う。話の内容上、コロナ禍に関する話題が多くなり私見も多々挟むことになるのでご留意いただきたい。

 

 

旅行キャンペーン「ホロ伊豆ム」開催決定

 

 ホロ伊豆ムの開催が発表されたのは昨年11月18日。2021年1月16日~4月16日(延長後は6月9日まで)の期間中にホロライブタレントと一緒に伊豆を旅行できるツアーパッケージという形で、近畿日本ツーリストによりA~Cグループの3期間に分かれて日帰り・宿泊の両プランが販売された。記念グッズ販売のほか、申込者限定で伊豆・三津シーパラダイス修善寺周辺を巡るMAPや一緒に旅する気分を味わえる特典ボイス、ポストカードが貰える修善寺でのコラボメニュー、宿泊プラン限定で特製アクリルボードが付属するなど、ホロライブ要素が盛り沢山な旅行企画だった。

 

entame.knt.co.jp

 

 中でも目を引いたのが、現地を走る伊豆箱根鉄道駿豆線でのラッピング電車運行だった。メインのキービジュアルにもデカデカと載っている7000系という3両編成の電車が、ホロライブのラッピング電車「ホロ伊豆ムトレイン」として期間中運行されることになったのである。半ば引退気味の鉄道ファンであった私の目にはこのラッピング電車の発表が一際輝いて見えたし、3年前に産声を上げたホロライブがラッピングで電車を飾るまで大きくなったことに深い感慨を覚えた。発表当時は自分の周りにいた鉄道好きのVtuberファンやホロライブ視聴者と、該当車両はこの編成だのこの時期ならこの撮影地で綺麗に撮れるだの、期待に胸を膨らませてワクワクしながらやり取りしたのを覚えている。

 

 もう1つ特筆すべきは、GoToトラベルキャンペーンの適用である。旅行需要の回復を目的に昨年7月から第1弾、地域共通クーポンの付与も含めた第2弾が10月から開始され、旅行代金の35%が割引されるなど、コロナ禍で低迷する旅行・観光業界に希望をもたらす一大旅行促進キャンペーンであった。当然ホロ伊豆ムもGoToトラベルの対象商品となり、宿泊プランの料金が大幅に減額されより気軽に伊豆へ泊まりに行けるということで、普段旅行に行く機会の少ないホロライブ視聴者であってもこの機会に多くの人が伊豆へ旅行することが大いに期待された。

 

 感染の拡大には注意しつつも全国的な旅行推進ムーブメントが到来していた中で、ホロライブが発表した伊豆への旅行キャンペーン。きっと1月16日には公式のアナウンスと共に盛大に企画がスタートし、もちろん公式配信で観光名所の紹介やラッピング電車の解説もおこなわれ、参加者が撮った写真を募集して紹介する企画などもあるかもしれない。ホロライブ初の旅行キャンペーンとして、そして初のラッピング電車運行によって、来年は初頭から盛り上がるに違いない。頭の片隅に浮かんでいた感染再拡大という一抹の不安を「杞憂」の一言で押し殺し、ワクワクしながら予約を済ませて年明けの旅行開始を私は待っていた。

 

 

年明けの感染爆発、そして緊急事態宣言

 

 杞憂は的中した。12月頃からじわじわと増えていた新規感染者は年末から年明けにかけて急増、年末4000人台だった感染者は1月7日には7000人を超えた。翌日、2回目の緊急事態宣言が一都三県に発令される。年末年始にかけて一時停止されていたGoToキャンペーン事業も当然のように適用停止となった。実にホロ伊豆ム開始8日前の出来事である。

 

 以下のグラフは、記事を書いた6月12日現在までの新型コロナウイルス陽性者数の推移である。

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新型コロナウイルス陽性者数の推移(引用:厚生労働省

www.mhlw.go.jp

 

 

 

 いつの段階でホロ伊豆ムという旅行キャンペーンが企画され、1月中旬から実施されることに決まったのか定かではない。だが確かに世間でGoToトラベルが注目され始めた昨年6月~7月頃の感染者数は100人前後に抑えられ、GoTo開始後も1000人前後に留まるなど、この時期に旅行キャンペーンを企画する分にはまったく不自然ではなかった。年末年始と帰省というタイミングで多くの人々が移動し、集まり、会食することによる感染爆発という事象を予見できたか、予見して時期をずらすべきだったかという点についてはすべて結果論であり、企画時点では「分からなかった」という他に言いようがないと思っている。それを踏まえたこの状況下でどう企画を扱うべきだったかについては後述するが、とにかく言いたいのは最初から最後までタイミングが悪かったということだ。

 

 こんな状況下であったが、ホロ伊豆ム自体を開催中止にすることはできなかった。ラッピング電車は運行に向けて当然準備を進めているし、提携した宿泊施設もお客さんが来る限りは営業を続けている。そもそも静岡県には期間中一度も緊急事態宣言は発令されなかった。中止するという選択肢はないものとして、企画をどう扱っていくかという点が年明けから私の主な関心事だった。

 

 そんな中、ホロ伊豆ムの開始を翌日というか数時間後に控えた1月15日午後21時前、ホロライブ公式から以下のようなアナウンスがあった。

 

 

  キャンセルポリシー。 端的に言えば、旅行のキャンセル手続きのご案内である。GoToトラベル期間中に申し込んだ場合、キャンセル料が無料になる等の趣旨だった。一方、文章の初めには「一部地域で緊急事態宣言が発令されておりますが、旅行への自粛要請はないため、予定通りホロ伊豆ムは実施させていただきます」という記述があった。旅行への自粛要請と県を跨いだ移動の自粛要請の違いへ言及することは置いといて、キャンセルの案内をお知らせしながらもホロ伊豆ムは予定通り実施するという公式発表に、多少は胸をなでおろす自分がいた。しかし今思うと、このアナウンスをもって「こういう事情だから公式はこれ以降伊豆に触れないぞ。自己責任で楽しんでくれや」と暗に言われたようなものだったのかもしれない。

 

 

ホロ伊豆ム初日。ラッピング電車で盛り上がるハッシュタグと沈黙の公式

 

 何はともあれ、1月16日を迎えてホロ伊豆ムは正式に開始された。早朝6時の三島駅に降り立った私が窓口で引き換えたホロ伊豆ム1日乗車券の右上には「000001」という数字が刻まれていた。案の定、最初のお客様だったらしい。

 

 この際批判を恐れずに言うが、私は地元民でもなければ関東在住でも中部在住でもなく割と遠方に住んでいる。もちろん感染症対策はしっかりした上で、計6回行った伊豆で1度たりとも誰かと会食することはなく、現地でファンと屋外で一言二言交わすことはあっても長々と話し込んだりすることもなく、仕事の都合上で何度か受けたPCR検査も無論すべて陰性であった。この状況でそんな遠方からどうして6回も伊豆へ足を運んだか、ここまで文章を読まれた方には汲み取っていただけるであろう熱い思いがあったとか、2年以上ホロライブを追っている身としてどうしてもラッピング電車を記録に残したかったとか、途中から動画制作の素材集めにシフトしたとか色んな理由がある。とにかく自分にとって、ホロ伊豆ムがこの半年間の生きる糧だったのは間違いない。だから初日も様々な手段を行使して、朝6時の始発からラッピング電車を捉えるモチベーションがあった。

 

 ラッピング電車の走る伊豆箱根鉄道駿豆線(通称:いずっぱこ)は、新幹線接続駅でもある三島駅から温泉地を経由しつつ修善寺駅まで13駅19.8kmを30分強で結ぶ比較的小規模な路線である。地方路線にしては運行頻度がそれなりに高く、日中は15~20分間隔、朝ラッシュ時は10~12分間隔で3両編成の列車が運行されるほか、東京駅から直通する特急踊り子が平日2往復、土休日3往復乗り入れている。そんな通勤・観光の両側面を持ち合わせる駿豆線に、愛してやまないホロライブのメンバーで彩られた電車が今日より運転を始める。

 

 最初の運用は、車庫のある大場駅を6時36分に出発する三島行き208列車。ホームで入線を待ち構えていると、1人のホロライブファンの方に声を掛けられた。話を聞くと、どうやら地元の方らしい。「来たくても来れない人のために、ラッピング電車の写真を上げようと思うんですよ。」そう言った彼の何気ない言葉に、正直私は胸の奥を痛めた。彼の言う「来たくても来れない人」のカテゴリーに、本来なら私は入っているはずの人間なのだ。行きたくても我慢して行かない人がいるような状況で、わざわざ遠方から伊豆を訪れる意味は本当にあるのか。自分が写真を投稿したり話題に出すことが、かえって企画に迷惑をかけるんじゃないだろうか...そういった不安が頭の中を逡巡しているうちに、暗闇を貫くように明るいヘッドライトが車庫のある方向から迫ってきた。楕円形のヘッドマークに大きく書かれた「ホロ伊豆ム」のロゴ。各ドアを彩る27人のホロライブメンバー。車内広告には事前告知のなかった5期生4人の姿。7000系7501編成、「ホロ伊豆ムトレイン」が運行を開始した。

 

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大場駅3番線に入線するホロ伊豆ムトレイン。すぐに三島行208列車として折り返した。

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三島二日町~大場間を快走するホロ伊豆ムトレイン

 ラッピングに関しては正直もっと派手なものだと想像していたが、それが同じく駿豆線を走るラブライブ!サンシャイン!!電車のバイアスによって過剰に期待してしまったものだと即座に納得できたので、始発電車を見送った直後はどこで次の写真を撮るべきか考える段階に入っていた。この日は側面を分かりやすく撮ったり、富士山をバックにしたり、流し撮りをしてみたり、試行錯誤しながらハッシュタグ付きで画像を何枚かTwitterに上げてみた。先ほどお会いした地元の方が写真を多く上げていたり、自分の痛車とホロ伊豆ムトレインを絡めて撮ってる方がいたり、一部ながら普通に旅行として訪れた方もいたように見受けられた。が、ハッシュタグに上がってくる写真の多くは鉄道ファンというか撮り鉄が沿線各撮影地でホロ伊豆ムトレインを撮ったものだった。ハッシュタグに関する一般ホロライブファンの反応として、「いつもと違うクラスタが湧いてるのが分かる。これが鉄道の力...」というツイートも見受けられた。おっしゃる通りである。この日ホロライブ目的で伊豆を訪れたファンの大半は、鉄道ファンを兼ねていたと言っても過言ではない気がする。

 

 情勢の急変で、予約した旅行をキャンセルした人も多かったはずだ。そんな状況でなぜ鉄道ファンはこんな活発に初日から動いていたのか。1つ大きな理由として、3月のダイヤ改正で引退する特急踊り子の185系をメインの被写体に据える中で、通過したホロ伊豆ムもついでに撮っていた人が多かった点があると思われる。それ以前になぜこうも軽々と電車を撮りに遠出しているかという点については、趣味界隈としての情勢に対する認識の差と言うしかないだろう。現に特急踊り子の185系を狙うため、三島二日町~大場間の有名撮影地では週末の度にカメラの隊列が出来上がっていた。どちらが正しいとかそういう話ではなく、この状況下でも遠出する人は遠出するし、家に籠る人は家に籠る。議論したところで正解など出ない話である。

 

 こうしてホロ伊豆ムがスタートした1月16日。公式が企画の開始に触れることは、一切なかった。私の知る限り、公式どころかホロメンがTwitterで伊豆に触れたのも、Bグループがスタートした翌日2月20日に白上フブキが旅行者の現地ツイートを引用リツイートしたのが最初で最後である。あとはご想像にお任せします。

 

 

6月までの期間延長、グッズ新規販売。しかし...

 

 そんなこんなで開始されたホロ伊豆ム。日帰りだけでなく宿泊プランも一度体験したり、電車だけでなく伊豆・三津シーパラダイスでイルカショーも見てみたり、ボイスを聴いてみたり、コラボメニューを食べてみたり。主目的であるラッピング電車の記録と並行しながら、大抵のイベントは堪能した。当初4月16日までの4か月を予定していたホロ伊豆ムは期間を2か月延長して6月9日までの半年間となり、3月26日から延長期間の追加販売が実施された。この延長期間では、今まで旅行時期により分かれていたA~Cの3プランをどれでも選択できるということで、より旅行の柔軟性が高くなった。合わせて新規グッズの販売も始まり、3月末~4月初頭を境にホロ伊豆ム第2シーズンが始まったと勝手に感じていた。

 

 そして重要なのは感染者数の推移。1月には7000人を越えた感染者も、緊急事態宣言の効果あってか2月末から3月にかけては1000人前後で留まるようになっていた。延長を重ねた2回目の緊急事態宣言も3月21日には解除され、緩やかな増加傾向ではあったものの、心機一転したホロ伊豆ム第2シーズンの始まりとしては決して悪くない情勢だった。「公式が企画を打つならここしかない」ー1月16日の企画開始以降、延長期間販売とグッズ新規販売の事務連絡以外一言も伊豆に触れなかった公式が、公式配信等の企画を1度でもやってホロ伊豆ムという企画が実施されている事実を、いずっぱこ沿線の観光名所を、ホロライブの電車が走っている事実を、一度でも大々的に紹介するなら、今、この時しかない。4月の初め、4回目の伊豆訪問で菜の花畑の上を滑るように走っていくホロ伊豆ムトレインをファインダーに収めながら、そんなことばかり考えていた。

 

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3月から4月にかけて、いずっぱこ沿線のいたる所で菜の花の黄色い絨毯が敷かれていた

 結局、そんなものはなかった。事務連絡以外で伊豆に触れることがないまま、ホロ伊豆ムは4月17日から延長期間に突入した。そして一週間後の4月25日、変異型の流入により再び急増した感染状況を鑑みて3回目の緊急事態宣言が発令された。「あぁ、終わりだ。」心の中でなんとか繋ぎとめていた糸がぷっつりと切れた音がしたのは、間違いなくこの時だった。もう、ホロ伊豆ムは救えない。そう確信したことで、私は期間中に少しでもキャンペーンを盛り上げたいという当初の方向性をキッパリ諦め、企画終了の6月9日に最後くらいでっかい花火を打ち上げようという目的で自ら動画制作することに方針をシフトした。勝手に期待して、勝手に盛り上がって、勝手に失望して、勝手に企画に華を添えようとする。最初から最後まで勝手なオタクのエゴだった。

 

 冒頭に戻り、ついに迎えた6月9日。ホロ伊豆ム最終日。タイミングが云々という問題ではないし、そもそも文言を用意していたなら何が起ころうと公式がアナウンスするはずである。一切、なにもなかった。ハッシュタグを覗いてみると、やはりホロ伊豆ムトレインを撮った鉄道ファンの投稿が大半を占めていたが、現地でラストランを見送る人がいたり、卒業発表した会長のドアをメインに撮影した人がいたり、自分以外にも半年間で撮り溜めたまとめ画像を上げてる人がいたり。自分の動画制作に協力していただいた方々も、それ以外にホロ伊豆ムトレインを追いかけていた方々も、本当によく頑張って記録を残していただいたと思ってるし、何様の立場か分からないが本当に感謝が絶えない。加えて電車へのラッピングを企画して実行に移したスタッフも、事故なく半年間運行に携わった伊豆箱根鉄道の方々にも、この素晴らしい企画を実現したすべての方々に深く感謝している。半年間、本当にありがとうございました。

 

 

鉄道ファン目線で見たホロ伊豆ム

 

 ここからは話題を変えて、ホロライブ初のラッピング電車であるホロ伊豆ムトレインが鉄道ファンの目線でどう見えたか、そしてホロ伊豆ムという旅行キャンペーンの中核にこの電車を添えた意味を考えてみようと思う。

 

 先述の通り、伊豆箱根鉄道駿豆線は通勤輸送と観光輸送の両側面を併せ持ち、小規模ながらも一定の利用客を誇る地方私鉄にしては優秀な部類の路線である。そんな駿豆線には、鉄道ファン目線でもう1つ重要な要素があった。それが、「ラブライブ!サンシャイン!!」との強い繋がりである。主にお隣の沼津が聖地となっている同作品であるが、伊豆長岡からラッピングバスに乗って向かえる伊豆・三津シーパラダイスや内浦地区も同作品の重要な舞台である。現地を歩いてみると、ラブライブ痛車や見るからにラブライバーの人達を目撃することも多く、未だ衰えない圧倒的な人気を実感した。

 

 このような背景から、駿豆線では以前よりラブライブのラッピング電車が計3本運転されている。1本目は現在運転を終了している3000系3501編成。2016年4月からドアと側面の一部にラッピングが施され、2018年3月まで運行された。

 

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3000系3501編成 現在はラッピング終了

 2本目は同じ3000系でも二次形と言われるステンレス製の3506編成を使用した「HAPPY PARTY TRAIN」。その名の通り列車をテーマにしたAqoursの3rdシングル発売を記念した全面ラッピングで、2017年4月から現在も継続して運行されている。

 

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3000系3506編成「HAPPY PARTY TRAIN」ラッピング継続中

 3本目はホロ伊豆ムトレインと同じ7000系7502編成を使用した「Over the Rainbow号」。劇場版の公開を記念して2018年12月から運行されている。当初は2020年3月をもって運行終了する予定だったが、緊急事態宣言に伴うさよならイベントの開催延期によって現在も運行継続中である。

 

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7000系7502編成「Over the Rainbow号」ラッピング継続中

参考までに、こちらが7000系7501編成ホロ伊豆ムトレインである。

 

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7000系7501編成「ホロ伊豆ムトレイン」現在はラッピング終了

 わかる。言わずともわかる。1本目と比べるならまだしも、現在運行中のラブライブ!電車2本と比べると、お世辞にも派手とは言えない。はっきり言って地味である。1月16日に初めてホロ伊豆ムトレインを目にしたとき、既存のラブライブ!電車の装飾を知っていた鉄道ファンやラブライバーなら尚更、「想像していたよりラッピングが地味だった」という第一印象を持つのは当然と言える。しかし、他の電車広告の前例を見てみると、決してホロ伊豆ムトレインが地味というわけではなく、度を越して派手なラブライブ!がむしろ異常だということが分かる。

 

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7000系7501編成「お~いお茶」ドア広告

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7000系7502編成「伊豆・三津シーパラダイス」ドア広告

 上の2枚は2016~2017年ごろに運行されていた7000系のドア広告編成である。これ以外にもアパマンショップや缶コーヒーWONDAの広告列車が現在も運行中だが、見て分かる通り伊豆箱根鉄道ではドアへのラッピングが基本なのである。電車にラッピングするのは無論タダではなく相応の広告費がかかるわけだが、広告主へは基本パッケージとしてドアへのラッピングが提示されていると考えられる。ゆえにホロ伊豆ムトレインのドアラッピングは基本の広告スタイルに従ったものであり、偶然にもそれが27人のホロメンを1ドアずつラッピングするのに適していたという帰結だと思う。

 

 逆になぜラブライブ!がここまで派手にやれたかと言えば、それは地元を舞台とするこの作品の巻き起こした地域振興が、伊豆箱根鉄道や関連企業に大きな影響を与え深い繋がりを作っていたからに他ならない。ラブライブ!だって1本目はほぼドア広告のみだったものが、作品の話題性と地域振興の成功により2本目、3本目の全面ラッピングに繋がった事実を考えれば、どうしてもホロ伊豆ムトレインが相対的に地味に映ってしまうのは仕方ない。元からいずっぱこは、ラブライブ!の天下だったのだ。そこにホロライブが何の繋がりも説明もなくいきなり参入してきても、地元の人からすればラブライブ!の亜種か新シリーズとしか思わないのも無理はないだろう。コンテンツの規模も地域密着性も、何もかもが違いすぎるのだ。



 散々地味だと表現してしまったドアラッピングだが、それはあくまで他のラッピング電車と客観的に比較した場合の話。ホロライブを愛するファンにとって、ホロメンが、自分の推しが、実際に走っている電車にラッピングされているだけで最大級に嬉しく写真を撮りたくなるのは想像に難くない。新幹線で三島にやってきた一般ホロリスナーH君(仮名)は、ホロ伊豆ムトレインの時間を調べて推しの写真を撮るべく、駿豆線の改札を通ってホームに降り立った。確かに、ホームには前面に「ホロ伊豆ム」と書かれた電車が止まっていた。車内には5期生の広告も吊り下げられている。これがホロ伊豆ムトレインに違いない。...が、推しの姿が見当たらない。ドアが全部開いているからだと分かり、せめて反対側のホームに回れないか窓を覗き込んでみても、反対側にはホームすらない。三島駅9番線、片側しかないホームに止まった電車のドアが開いたら最後、この駅で推しの姿を崇めることはもうできない。仕方なくホロ伊豆ムトレインに乗車したH君、宿にチェックインする時間も迫っていたため、終点の修善寺まで乗り通すことにした。ホロメンでジャックされた車内広告を眺めつつ、30分強で修善寺に到着。さすがにここでは反対側のドアも撮れるだろうと思いホームに降り立ってみると、隣に止まっていたのは東京行きの踊り子号。修善寺駅3番線に佇み当分発車する気配のない踊り子号に阻まれ、結局ドアにラッピングされた推しの写真を撮ることもできず、H君は失意のまま宿に向かうしかなかった...

 

 以上は架空のストーリーであるが、次に論じたいのはホロ伊豆ムトレインのドアラッピングにおいて、こんな状況が起こり得る可能性が十分に存在していたという点だ。これはドアにラッピングをした車両側の問題というより、駿豆線の駅の構造上の問題が大きい。まずホロ伊豆ムの玄関口である三島駅。7~9番線の3つのホームがあり、日中は8番線と9番線を交互に使うことが多い。一方ホロ伊豆ムトレインはドアにホロメンがラッピングされた仕様のため、駅で停車中に撮影するには入線か発車間際にドアの閉まった瞬間を狙うか、反対側のホームに回るしかない。これが三島駅8番線に入る分には反対側の7番線から難なく撮れるのだが、問題は9番線に入った場合。こちらは片側にしかホームがないため、どうしても写真を撮るにはJRのホームからズームして撮るしか手がないのである。せっかくホロ伊豆ムトレインの時間に合わせて三島駅にやってきても、推しどころか誰のラッピングも撮ることができない、そんな状況に遭遇した人も多いのではないだろうか。

 

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三島駅9番線に停車する電車。反対側にあるのはJRの線路である

 続いて修善寺駅であるが、こちらは三島駅に比べてホームも多く反対側から撮れる確率は結構高い。しかし運悪く長時間停車する特急踊り子の隣のホームに入線した場合、撮れずじまいに終わる可能性も時間帯によっては存在する。踊り子がいなかったとしても結局撮れるのは片側のドアだけなので、自分の推しをカメラに収められる可能性は三島から修善寺まで乗り通したとしてもそこまで高くない運任せの勝負なのだ。

 

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修善寺駅。長時間停車する踊り子号の隣に入線した場合、ドアを撮るのは一層難しい

 以上が駿豆線においてドアラッピングを撮りにくい主な理由である。実際どのくらい伊豆を訪れたホロライブファンがドアの撮影に苦労したかは、Twitterで「ホロ伊豆ム ドア」とかで検索していただければ分かると思う。残念ながら、軒並み不評である...

 

 せっかくのラッピングなのに駅では撮りにくい。じゃあどこで撮るのかと言えば走行中に沿線で撮るしかない。しかし地方私鉄とはいえ時速80kmで飛ばすいずっぱこスマホで捉えるのは難儀...じゃあ誰がしっかり写真を撮れるのか?それはもう、走行する列車を撮影することに長けた趣味と技量を持つ人達の腕の見せ所になるわけで、結果的に撮り鉄の皆様方が貴重な記録を沿線各地で日々残し続けた功績はホロ伊豆ムトレインという企画にとって本当に大きかったと思う。最近あらゆる方面から嫌われがちなこの趣味だが、たまには自分たちにしかできない役目を堂々と果たせたんじゃないかと思っている。

 

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くっきりと見えた富士山をバックに走るホロ伊豆ムトレイン

 そんなホロ伊豆ムトレインだが、旅行キャンペーンの大きな目玉としてこの電車を捉えたときに、やはり一般旅行者からすれば物足りなさは否めなかったという印象がある。車内広告が全部ホロ伊豆ムで埋められている光景は確かに嬉しいものがあったが、ホロライブは全体としてコンテンツを楽しむというより、主流となっているのは「推し」の文化である。自分の推しの配信を見て、スパチャをして、ツイートをRTしたりリプを送ったり、HNに推しマークを付けたり。そういった特定の推しを持つファンにとって、全体としての「ホロライブの電車」が走ることはもちろん嬉しいだろうけども、より重要なのはその電車に貼られた推しの写真をピンポイントで撮ることである。その一番重要なポイントが、どうにも抑えられていなかった。

 

 ドアラッピングが基本である事情も、三島・修善寺両駅の構造上の都合も、承知している鉄道ファンからすれば仕方ないと思うし沿線で撮るしかないと思考転換できるかもしれない。しかしそんな事情を知る由もない旅行者からすれば、せっかくラッピング電車に乗ったのに肝心の推しがいない、推しの写真が撮れないというガッカリ電車になってしまうことは容易に想像できる。そればっかりは仕方ないんだけれども、だったら注意として事前に記載しておくとか、推し1人1人の車内広告も作るべきだったとか、色々考えようはあったと思う。少なくとも、ラッピング電車が半日運休するからと言って予約を変更するかどうか近ツーから電話が来たり、わざわざ運休日に宿泊プランの設定を見合わせたり、そこまで旅行キャンペーンの中核に据えるべき電車だったのかと首を傾げたくなることもあった。個人的には一番楽しみにしていたラッピング電車だったので全然良いのだが、推しのドアを撮れない不満げなツイートを多く目にしたのはちょっと心苦しかった。

 

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ドアに片側ずつ配置されたホロメン。反対側のホームに行かないと撮るのは困難だった

 

旅行者にとっては「非日常」、しかし地元にとっては「日常」である

 

 いよいよ、表題にある本質にして自分が最も主張したかった論点に入ろうと思う。ホロ伊豆ムは、旅行キャンペーンである。おそらく近畿日本ツーリストが主導し、カバーが素材・ボイスの提供やグッズを制作し、提携宿泊施設が契約を結び、そして伊豆箱根鉄道がラッピング電車を運行する。外部から訪れるホロライブファンが最大限楽しめるために用意された、移動・観光・宿泊・食事をも含む包括的な旅行パッケージである。一方これら旅行のために用意された各種イベントの中で、1つだけ、旅行者であるか否かに関係なく現地の人でも頻繁に利用するものがある。そう、いずっぱこである。ホロ伊豆ムトレインは、たまに旅行に来るホロライブファンのためだけに走っているのではない。通勤・通学のため、三島へのお出かけのため、毎日のようにいずっぱこを利用する地元利用者の足として走っているのである。観光客視点では見えてこない、地元乗客視点で見たホロ伊豆ム。このテーマが、6回の伊豆訪問の末に最も主張したかった点である。

 

 6回の訪問の中で1日だけ、平日のいずっぱこに乗る機会があった。朝ラッシュをちょっと過ぎたくらいの乗車だったと思うが、休日には見られないくらい席が埋まりドア付近には立ち客も多かった。この路線が単に観光路線ではなく、れっきとした通勤路線であることを改めて確認できた。また土曜の夕方だったか、部活帰りの高校生が大量に乗ってきて一気に席を埋める場面にも遭遇した。このご時世とはいえ学校も部活も普通にあるわけで、そこには変わらずいつも通りの「いずっぱこの日常」があったのである。

 

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三島広小路駅付近。いつも通りの三島の街角を、ホロライブの電車が横切っていく

 旅行というのは、非日常だ。普段の自分の生活圏を離れて、遠く離れた地へ休養や、レジャーや、遊びのために、人は非日常を求めて旅行へ赴く。一方、その旅行へ赴いた地で暮らす人々にとっては、自然が多かったり世界遺産があったり温泉があったりする光景もひっくるめて「日常」なのである。それを非日常と感じるのは、外部から訪れて自分の生活圏とは違う空気に身を浸した結果としての主観的な感覚に過ぎない。遠方から訪れた自分にとっては非日常かもしれないが、目の前に座っている高校生にとってはこれが日常なのだ。

 

 外から来た旅行者にとっては「非日常」であるラッピング電車も、現地の鉄道利用者からすれば「日常」となる。この観点からホロ伊豆ムトレインという電車は、地元利用者にどう映ったのだろうか。

 

 まず半年間という期間は、ホロ伊豆ムという名前やビジュアルやキャンペーンそのものが、いずっぱこの日常に馴染むには十分すぎる時間だったと思う。1週間とか1か月ならまだしも、半年も三島駅の一番目立つ位置に大きなパネルが設置され、車内の広告を全面ジャックしたラッピング電車がほぼ毎日走っていれば、通勤通学等で駿豆線を利用する定期利用者もさすがにホロ伊豆ムの存在を認識しているはずである。特に車内広告に関しては、先述の通り朝ラッシュ時には立ち客がでるほどの混雑率の中で、車内を見渡すと必ずホロ伊豆ムの中吊り広告が目に入る効果は相当大きかったと思われる。

 

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ホロ伊豆ムトレインの車内。中吊り広告はホロ伊豆ムでジャックされている

 また駿豆線で日中動いている電車の本数は8本程度であり、何十本もの電車がひっきりなしに走っている山手線とはわけが違う。半年間も駿豆線を利用していれば、何度もホロ伊豆ムトレインに当たる機会が巡ってくるのは想像に難くない。その度に地元の高校生やお出掛けするおじちゃんおばちゃんは、「またドアに女の子が描かれた電車に当たった」「また広告が全部女の子の電車に乗れた」と思っていることだろう。それ自体は非常に好ましいことであり、そこからホロ伊豆ムやホロライブに興味を持ってスマホで調べてみる地元民がいるであろうことも容易に想像できる。

 

 そこで問題になるのは、やはり情報量の少なさである。「ホロ伊豆ム」という旅行キャンペーンが実施されていて、「ホロライブ」というグループのタレントと一緒に旅を楽しめる企画で、「#泊まりたいホロライブ」というハッシュタグが推奨されている。地元民が広告を見ただけで認識する情報量といえば、せいぜいこの程度であろう。この情報量で、いずっぱこの沿線住民ならどんな印象を持つだろうか。おそらく、ラッピング電車の下りで先述したことと同じである。

 

「ホロライブ...?ラブライブの新シリーズか姉妹作品かな?」

 

 当然の反応である。何年も前から、ここはラブライブ!の天下なのだ。流行に敏感な若者ならまだしも、アニメカルチャーに触れること自体が新鮮な地方在住の上の世代の皆様にとって、ラブライブ!ですら地域の誰もが認知し自然と馴染むようになるには数年かかったはずである。そんな中、ラブライブ!の電車がポンポン走ってくる駿豆線で今年に入って新たなアニメ風のラッピング電車が、しかも○○ライブという名前のついたコンテンツだったら、ホロライブを知らない誰もがラブライブ!の亜種か何かだと感じるのはごく自然な流れである。

 

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三島駅で並ぶホロ伊豆ムトレインとラブライブ!サンシャイン!!のラッピング電車

 車内広告にも、ドアにも、駅のパネルにもポスターにも、「ホロ伊豆ム」の文字と「#泊まりたいホロライブ」のハッシュタグは丁寧に書かれているが、そもそも「ホロライブ」とは何なのか、そこに関する説明が一切ない。バーチャルYouTuberとも、Vtuberとも、何一つ記載がないのである。何も知らない鉄道利用者が見たら、ラブライブ!みたいなアニメ作品とのコラボだと感じるのは至極当然だ。Vtuber知名度もホロライブの知名度も、アキバでは誰もが知るレベルかもしれないが、静岡県の地方都市から温泉地へ伸びる路線で、そんなに事前知名度があるだろうか。実際、私も沿線でホロ伊豆ムトレインを狙って撮影しているときに地元の方から「何狙ってるの?踊り子?」と声を掛けられた際、「ホロライブです」と言って伝わる自信が一切なく「ラッピング電車です」と言ってお茶を濁したところ「あ~ラブライブね」と返され「アッ、ハイ...」と言ってしまう事象が発生している。ゆるゆりのフルグラTシャツを着たオタクが「ラブライブです...」と認めてしまう例のやり取りを自分が再現することになるとは...

 

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ホロ伊豆ムトレインの中吊り広告。ホロライブ自体に関する説明は特にない

 結論として何が言いたいか。それはラッピング電車という特殊な広告媒体が持っている「地元鉄道利用者からの視点」がホロ伊豆ムにはすっぽりと欠如していたんじゃないか、という点である。ホロライブを愛する旅行者が訪れる分には、三島駅でパネルによるお出迎えを受け、問題点はありつつもホロライブ一色に染め上げられた電車で伊豆長岡なり修善寺なりの温泉地へ移動することができる。その非日常的な電車での移動を楽しむことが、当初ホロ伊豆ムで想定されていたラッピング電車の主目的であることは間違いない。しかし、この電車は休日に少数訪れるオタクのためだけに走っているのではない。平日も毎日のように利用する地元利用者のためにも走っているのである。その地元利用者の視点をもっと考慮していれば、現地の高校生や大学生、アニメやコンテンツに関心を持つ人など、より多くの人々に的確にホロライブを知ってもらいファンになってもらうことができたかもしれない。また沿線自治体や観光事業者もホロライブおよびVtuberによる地域振興に関心を持ち、さらなる伊豆の観光キャンペーンや他地域での事業展開に繋がるバトンを作れた可能性は大いにある。そのためには、何が必要だったか。もちろん現地広告をどうにかするという点もありつつ、やはり一番大きいのは公式からの情報発信である。

 

「旅行が厳しい状況でありながらも、ホロライブは地元や鉄道会社と協力してこのような企画を展開している」

 

「ラッピング電車の走るいずっぱこ沿線にはこのような観光地や温泉地があり、車窓からは富士山も見えて乗って楽しい鉄道である」

 

「厳しい状況ながらも、鉄道も温泉地も伊豆の人たちはみんな頑張っている。情勢が落ち着いてからでもいいので、ぜひ伊豆に遊びに来てほしい」

 

 こんな情報発信が、こんな公式配信が、一度でもあれば。その配信がアーカイブとして残り、「ホロ伊豆ム」検索結果の上位に上がっていれば。それを地元民や沿線自治体や観光事業者が目にしていれば。表面上の旅行キャンペーンとしてはほぼ失敗に終わったと言えるこの企画も、「Vtuberによる地域振興のモデルケース」という位置づけに持っていくことができたかもしれない。引き続き観光需要が低迷する中で、いつか来るコロナ終息後の需要再拡大を見据えた全国の観光事業者や地方自治体が、ホロ伊豆ムという事例に目を付けて声をかけてきたかもしれない。もっと派手で立派なラッピング電車が、どこかで走ったかもしれない。外からの観光キャンペーンという視点だけでなく、内からの地域振興という視点があれば、公式が伊豆の話題を出すことのリスクを天秤にかけた場合でも、何らかの情報発信をするという方向にもっていけたかもしれない。そんなIFの選択を、妄想せずにはいられなかった。

 

 

動画「ホロ伊豆ムが吹っ切れた」は如何にして生まれたか

 

 話は変わって、ここからは6月9日に投稿された動画「ホロ伊豆ムが吹っ切れた」の制作経緯について話してみようと思う。そもそも私が積極的にホロ伊豆ムトレインの記録を初日から進めていたのは、もちろんTwitterへの投稿という短期的な目的がありつつも、長期的にはいずれやるであろう公式配信において画像を募集する機会があるのではないかという希望的観測に基づいた行動だった。せっかく旅行キャンペーンが組まれてホロライブで彩られたラッピング電車まで走っているのだから、現地へ旅行したファンの写真や思い出を紹介する企画というものがあって当然だと思っていたし、それがこのご時世でどうしても旅行に行けない人々のためにもホロ伊豆ムという企画をリアルな目線で紹介して一緒に楽しんでもらう、そんな機会の提供になると考えていた。

 

 結局、ホロ伊豆ム関連の公式配信は終了まで一度として実施されなかった。先述の通り、最もタイミングがよく可能性があった3月末~4月初頭の延長期間突入時に何も動きがなかったことで、微かに信じていた公式配信という希望は完全に打ち砕かれた。公式が大々的にホロ伊豆ムを盛り上げる機会も、あまつさえ紹介する機会さえもう二度と訪れない。私はその辛い現実を粛々と受け止めつつ、初日から撮り溜めた何百枚もの写真の用途について考え始めていた。ハッシュタグをつけて画像を投稿するだけでは、記録としてネットの海に残ることは確かだとしても、インパクトも反応も薄い。だとすれば動画、1つの動画作品としてYouTubeにも動画を上げることで、半年間実施されたホロ伊豆ムの記録をしっかり多くの人の目に留まる形で残すことができるのではないか。公式配信への諦めがついた4月中旬、自らホロ伊豆ムの記録を動画として残す方針へと転換を決断した。

 

 どうして自分はこんなにも躍起になってホロ伊豆ムの記録を残すことに執着したのか。6回も伊豆に行ったモチベーションはどこから湧いてきたのか。それには、主に3つの理由がある。

 

 1つ目は、先程まで散々言ってきたように公式がホロ伊豆ムをスルーし続けたこと。公式が企画を打ったり現地ロケでもしていれば、自分がここまで動くこともなかったと思う。いずっぱこの日常に溶け込むホロライブの姿も、それなりにお金をかけて装飾したラッピング電車も、ホロメンがボイスで紹介した修善寺の観光名所も。公式がまとめてくれるに越したことなかったが、残念ながら公式は一歩も動かなかった。誰かがやらなければ、誰かが半年間も続いたホロ伊豆ムの記録を残さなければーこの企画は「黒歴史」として永久に汚点を刻んでしまうかもしれない。最初に企画提案したスタッフ、運行に携わった伊豆箱根鉄道の社員、こんな状況でも現地に足を運んでくれたホロライブファンや鉄道ファン、そしてホロライブがいる日常をなんだかんだ受け入れてくれた沿線住民の皆様方。あまりにも多くの人や、企業や、そしてお金も動いているこの企画を「黒歴史」で終わらせることなど、絶対にあってはならない。たとえ公式がそのつもりだったとしても、我々ファンが絶対に阻止してみせる。そんな大袈裟ともいえる大義名分と反骨精神が、私を6回も伊豆へと誘ったし動画制作の大きなモチベーションであった。

 

 2つ目は、ラッピング電車の発表以降、ずっと頭の中から離れなかったホロメンの些細なツイートである。

 

 

 あくたんが昨年6月3日に投稿したこのツイート。リンク元が消えてるので分かりづらいが、確か常磐線のE501系にホロライブのラッピングを施したCG映像への反応だったと記憶している。この頃にもうラッピング電車の話が出ていたか微妙なところではあるが、どちらにせよ、ホロライブみんなが頑張った結果として電車とコラボできたのである。どれだけ本気のツイートだったかは分からないけど、現実として叶っているのだ。でっかくなったホロライブは、電車とコラボしたのである。それを、ご時世だのラッピング位置が悪いだの、理由を付けて蔑ろにするのは間違っている。頑張った結果としてせっかく叶ったラッピング電車、繰り返しになるがそれを「黒歴史」にするわけにはいかないし、駅で撮りづらいなら撮り鉄が沿線で記録を残すしかない。いつも頭の片隅にこのツイートのことを想いながら、何度も何度もホロ伊豆ムトレインにカメラを向けてきた。

 

 3つ目は、直接ホロライブとは関係ない。京都府を走る叡山電鉄で同じようにコラボ電車を走らせた「ゆるゆり」の話である。元から叡山電鉄という路線はけいおん!の舞台となったことに由来して、芳文社まんがタイムきらら」とコラボした列車や記念乗車券の発売等を2011年より10年近く継続して実施している。ご注文はうさぎですかきんいろモザイクNEW GAME!等々、10年の間にコラボしたきらら作品は枚挙にいとまがなく、まさに鉄道会社とアニメ作品のコラボにおいて先頭を走ってきた偉大なる存在である。そんな叡山電鉄で、ホロ伊豆ムの終了とも日程が近い6月5日、1年近く運行されたゆるゆりのコラボ電車が運行終了するという知らせが目に入った。それが以下のツイートである。

 

 

 

 「ゆるゆり電車 勝手に応援プロジェクト」ー有志の制作したポスターが実際の駅に掲示されるだけでなく、なんと原作のなもり先生が描き下したイラストも加わり、ゆるゆり電車の運行終了に華を添えた。広告代理店や叡山電鉄一迅社の協力の下で実現したこの素晴らしい企画を目にして素直に感動すると共に、同じ電車コラボでありながらあまりにも温度差のあるホロ伊豆ムとの格差を実感してしまい大きなショックを受けた。

 

 もちろん、コンテンツの規模も、叡山電鉄という会社の特殊性も、さよなら企画に対する行動力の違いも、すべて理解していた。だとしても、あまりにも、ホロ伊豆ムがこのまま終わるのはお粗末すぎるんじゃないか。愛するコンテンツと、人々を乗せて走る電車とのコラボ。その点は変わらないはずなのに、なぜここまで大きな差が生まれてしまうのか。そこがもどかしくて仕方なかった。こんなに大きな企画を1ファンの立場でしかない自分が今から立ち上げることなど到底無理だったし、そもそも伊豆に関しては腫れ物を扱うかのように無視を決め込んだのが公式の見解だった。だから、ここまで盛大な企画を目標に、ホロ伊豆ムのラストを飾ることはできない。けれども、本当に些細に、少しでも、1人でも多くのホロライブファンが、伊豆で展開されていたホロライブの旅行キャンペーンのことに思いを馳せてくれれば...1人でも多くの人が、ホロ伊豆ムという企画があったことを、ホロライブの電車が半年間走ったことを、記憶に残してくれれば...そんな思いで「微力ながら」、最後に華を添える手伝いがしたかった。

 

 最初は素材集めから制作まで1人で作り上げるつもりだったが、より素晴らしい作品を、より記憶に残る作品を作りたいがために、以前にも1度下車作品の制作でお手伝いさせてもらったこてゆび氏、沿線で数多くの素晴らしい写真を撮られていたしぐれ氏、エンディングの音源制作を快く引き受けてくれたクレムリンP氏の3人にもご協力いただいた。リスペクト元は2000万回という凄まじい再生数を誇りホロライブ紹介動画の代名詞とも言えるおちゃめ機能。撮りづらいと不評だったドアラッピングを逆手に取り、ドアの開閉やドアごとに焦点を合わせた動画構成でホロメン27人+車内広告4人を原作のごとく順番に紹介していくスタイルとなった。中盤にはホロメンロゴ風の駅名アレンジを修善寺から三島まで流していく演出があり、ここで上を走っていくホロ伊豆ムトレインのイラストと駅名ロゴ制作に相当な時間を費やした。後半は音MADおよび下車パートとしてこてゆび氏に制作をお任せし、豊富な動画素材と自動放送でクオリティの高い出来に仕上げていただいた。また全体に渡る主旋律の音合わせとドアドラムもこてゆび氏に担当してもらい、想像より一気に賑やかで楽しい動画に仕上がった。エンディングはSSSの駅メロ風アレンジとして、去っていくホロ伊豆ムトレインをホームで見送るような哀愁漂うイメージを意識した。

 

 こうして多くの方々のご協力のもと、6月9日21時、無事予定通りにホロ伊豆ムの記録に徹した半年間の集大成、「ホロ伊豆ムが吹っ切れた」を公開することができた。制作にご協力いただいた皆様、本当に、ありがとうございました。

 

www.youtube.com

nico.ms

 

 6月9日の投稿に際して、実は1つ裏話がある。当初6月8日の深夜には完成版が出来上がっており、あとは投稿を待つだけだった。しかし正午、自分の耳を疑わざるを得ないほど衝撃的なお知らせが飛び込んでくる。こんな時に伊豆の話をしている場合なのか...一瞬そんな疑念が頭をよぎったが、会長含めて27人+4人のホロメンが伊豆の電車を飾った記録をしっかり残すことが自分の使命だと思い直し、予定通り21時に公開することとした。

 

 その中で、どうしても衝動的に手を入れたい箇所があった。ドアパートの会長部分、ここにささやかながら桜の花びらが舞う演出を加えた。正直、全員同じ条件で揃えることが27人+4人みんな一緒でフラットな演出であると思う節もあり、追加演出には若干の迷いもあった。しかし、時が経つにつれ人の記憶というのは曖昧になるものである。きっと1年後には、ホロ伊豆ムのことも会長のことも覚えていたとしても、その期間中に会長は在籍していたのか、期間中に卒業したのか、終わってから卒業発表したのか、その辺の時系列が曖昧になるんじゃないかと思う。だからこそ、会長が映る部分をあえて目立たせることで、ホロ伊豆ムが終了するまさにその当日、彼女はホロライブから卒業する発表をしたということを、1年後でも2年後でも動画を見る度に思い出したい。この時は確かに会長がホロライブの一員だった、仲間だった事実を残しておきたい。そんな思いから投稿直前に急遽、追加の演出を入れることに決めた。黄色いドアの向こう側でニコリと笑う会長に、少しでも華を添えることができたらな、と思う。

 

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会長とわためが並ぶ黄色いドア。ラッピングが終わっても、記録として永遠に残り続ける

 

 本音を言ってしまうと、この動画はもっとバズってほしかった。もっと多くの人に、ホロライブリスナーに、伊豆へ行けなかった人達に、願わくば運営やホロ伊豆ムを企画した方々に見てもらいたかった。公式から半ば見捨てられたような状態でも、こんなにも正面からホロ伊豆ムに立ち向かったガチ勢がいるぞという意志を示したかった。それが叶ったのかどうか、現状の反応を見てるとイマイチ分からない。TLに流れていくホロライブリスナーの大多数は、本当に、心の底から、ホロ伊豆ムという企画に興味がなかったのかもしれない。鉄オタが身内で勝手に盛り上がって終わった企画だったのかもしれない。だとしても、こうして1つの動画としてホロ伊豆ムという企画の爪痕をインターネットに刻むことができたことを、私は誇りに思っている。ハッシュタグをつけて最終日までホロ伊豆ムトレインを追いかけた皆さんも、貴重な記録の証人としてこのホロ伊豆ムに貢献したことを、どうか誇りに思ってほしい。ホロ伊豆ムを愛したすべての方々に、最大限の敬意と感謝をここに。

 

 

結論

 

・旅行キャンペーンという観点でホロ伊豆ムを論評するとき、その判断基準は個々人による新型コロナウイルス感染症の現状認識に依存する。昨年GoToトラベル実施の際にワイドショーでもネットでも散々なされた不毛な議論をここで繰り返したところで、旅行許容派と反対派の間で議論はひたすら平行線をなぞるだけである。その現状を踏まえたうえで、徹底的なリスク回避をベースとする会社の指針として「ホロ伊豆ムには触れない」という決断をしたことで、結果的にはトラブルも炎上もすべて回避して何事もなくホロ伊豆ムの全期間を終了することができた。その点については納得しているし、評価すべきだと思う。

 

・一方、ホロ伊豆ムトレインの運行はラッピング電車が持つ特殊な広告媒体という性質上、企画に参加する旅行者のみに向けられたものではなく、日常的に駿豆線を利用する地元鉄道利用者にも本来その広告効果が向けられるべきものである。以前よりラブライブ!と深い繋がりのある駿豆線において、キャラクターのラッピング電車やパネル設置は抵抗なく受け入れられたように思えるが、ホロライブとは何か、一切の説明がない広告展開を振り返ると、Vtuber事務所であることすら判然とせずラブライブ!と混同する程度の認識に留まってしまうのは駿豆線の性質上避けられなかったと思われる。その上で、ホロ伊豆ムという旅行キャンペーンが実施されていることのアナウンス、ラッピング電車の解説、駿豆線沿線観光地の紹介、コロナ終息後の長期的視野に立った伊豆への観光需要喚起を柱とする公式配信が実施されていれば、地元での認知度向上、Vtuberによる地域振興モデルケースとしての企画確立、それに伴う他地域での地方自治体、観光事業者、鉄道事業者等を巻き込んださらなる長期的な観光需要創出、旅行キャンペーンの実施、ラッピング電車の運行が十分見込まれる環境であったと考える。

 

・上記2点を天秤にかけて最適解を模索した結果、運営としてはリスク回避を最優先し地元鉄道利用者や長期的な観光需要創出という観点を切り捨て最後まで沈黙を貫くという決断をした。しかし6回に渡り伊豆を訪問した私の目により印象深く映ったのは、「ホロライブファンが旅行キャンペーンという非日常の中で目にしたホロライブ」よりも「地元鉄道利用者がいつも通りの日常を送る中で目にしたホロライブ」の光景であった。この視点を持ってさえいれば、本当に僅かな批判リスクというものを度外視してまでも、1度でいいから公式配信をしてほしかった。何かしら公式がホロ伊豆ムに触れてほしかった。せめて最終日くらい、半年間も運行に携わった伊豆箱根鉄道や宿泊・飲食でも協力した地元の方々へ一言くらい感謝の言葉があってほしかった。

 

長々と書いたが、一番主張したかった点は以上3点である。

 

何はともあれ、半年間素晴らしい企画をありがとうございました。仮に運営もホロライブファンも、誰もがこの企画を黒歴史だと揶揄しても、大好きなホロライブが初めて電車を飾ったこのホロ伊豆ムという企画を、私は良い思い出としてずっと忘れないでしょう。ありがとうホロ伊豆ム。さようなら、ホロ伊豆ムー。

 

 

おわりに

 

昨今旅行に関して世間で言われていることで、2つだけ明らかな嘘と誤解がある。

 

1つは、「旅行先は逃げない」。嘘。旅行先は逃げる。正しくは、旅行先が消える。

ホロ伊豆ムだってわざわざ期間まで延長したのに消えていった。

 

もう1つは「落ち着いたら行こう」。誤解である。落ち着くまで待っていたら旅行先は消える。そして落ち着くという基準が緊急事態宣言の解除であれば、それは即ちリバウンドによる感染再拡大の可能性を含んでいる。100人中100人が落ち着くまで我慢して、いざ宣言が解除されると同時に100人全員が街へ繰り出したら一体どうなるのか。火を見るよりも明らかである。

 

 導き出される最適解は、「感染状況に留意しながら一定まで新規感染が落ち着く状況を見計らい、万全の感染対策を施したうえで行けるうちに旅行へ行く」である。1年前と違い、今はどういう状況で感染リスクが高まるか科学的なデータの蓄積がある。1人で電車を乗り継いで旅行先へ向かい、屋内に入るたびに消毒を徹底し、黙って飯を食い、人と話さずに旅行を楽しむ。こういった個人旅行による感染リスクが低いのは明らかであり、東京都心で複数人で近所のファミレスにでも行く方がよっぽど感染リスクとしては高いのである。遠方への旅行だから感染リスクが高い、なんてデータはない。

 

 ホロ伊豆ムがこんな状況に陥ったのは、言うまでもなく新型コロナウイルスのせいである。企画自体の不備は多くあるものの、コロナさえなければ不備を覆すくらいの多くの旅行者が訪れ成功という認識で終わった可能性は多々ある。だが、現実はそうはならなかった。

 

「ご時世だから仕方ないね。」

 

この言葉は万能である。これを言ってさえしまえば、世の中のあらゆる落ち度のすべてが許される。コロナのせいにしてしまえば、すべてが丸く収まり誰もが首を縦に振って納得する。

 

そんな社会は、本当に正しいのだろうか。

 

 ホロ伊豆ムの延長や2回目を求める声もチラホラ目に入った。実際のところラッピング電車はすでに装飾を剝がされ運用に復帰したため延長はあり得ないわけだが、仮にあと数か月期間が延長されたとして、本当に「落ち着いたら行く」と言っていた人達は伊豆に来るのだろうか。緊急事態宣言は今も続くが6月20日に解除される。そのあと待っているのはリバウンドによる再拡大と、このまま強行される東京オリンピックである。その情勢を見据えた上で、あと数か月のうちに「落ち着いたら行く」という意志の曖昧な言い方をしている人達が進んで伊豆に赴くような状況になるとは、私は到底思えない。旅行キャンペーンもラッピング電車もタダで動いているわけではない。これ以上大して旅行者が見込まれない以上、予定通りスパっと期間を切って残った資金をグッズなり歌なりホロメンへの還元に使った方が、よっぽど有益ではないだろうか。

 

 自分で状況を判断し、考え、行っても問題ないと思った人は行ったし、そうならなかった人は行かなかった。数か月期間を延ばしたところで、個々人の判断によって行動が分かれる今の状況が、同じように数か月続くだけである。誰もが気兼ねなく旅行できる日常は、当分訪れない。残念ながらそれが現実だ。

 

 結局、ホロ伊豆ムは救われない企画だったのだ。そんな中でも、自分は出来る限りの時間と労力を費やして精一杯足掻いたつもりである。結果的には、それでも足りなかった。ホロ伊豆ムが終了したことさえ、大々的には伝わらなかった。力不足だった。

 

だからこそ誓った。「次はうまくやる」と。

 

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(長文・駄文、失礼しました。最後までお読みいただき、ありがとうございました)